森永ミルクキャラメル開発よもやま話

森永の創業期に発売されたキャラメルが、「森永ミルクキャラメル」として皆様にご愛顧いただけるようになる
現代までのあゆみを連載の形でご紹介していきます。

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第六話(1910年〜1928年)

高温多湿の日本では、ミルクキャラメルの品質保持のため、作業場の温度管理に空調の必要があります。けれど当時、日本はもとより欧米でも、製菓工場でそのような設備を持つところはありませんでした。そこで大正7年、松崎支配人はイギリスより化学工業用のものを購入、その構造や使用方法について詳細な研究を行いました。この研究をもとに、大正14年に完成した鶴見工場では、国内メーカーと共同開発した巨大な機械を実用化させます。 こうしてキャラメルもようやく大量生産できるようになり、販路は日本全国のみならず、中国や台湾、朝鮮、東南アジアの各地にまで及びました。また、大量生産が可能になるにつれ、キャラメルの広告対象も「煙草代用」のための成人層から次第に子供たちへと拡大され、教育上参考になる絵カード入りのものも売り出されました。
この頃宣伝も盛んに行なわれましたが、大正時代で一番成功したのは、活動写真館と提携してキャラメル10銭につき入場券をつけるというものでした。そしてこの上映フィルムの一つとして、工場での製造現場を映写し、大きな信用を得ることにもなったのです。
しかし昭和6年頃になると、政府の緊縮財政により購買力が極端に低下、不振にあえぐ菓子業界各社は品質よりも値段で競争するようになります。しかし森永ミルクキャラメルはあくまで価格維持の方針を崩さず、他社の安売り攻勢には大々的な宣伝・広告をもって対抗します。
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