What's Energy?

Vol.03

2019/12/17

フィギュアスケート

白岩 優奈

挫折を乗り越え夢への道を切り開く 白岩優奈の覚悟

自らの意志でクラウドファンディングを開始

夢をつかもうと覚悟を決めた瞬間、アスリートはひとつ上の強さを身にまとう。そこに年齢や性別は関係ない。白岩優奈は芯の強いフィギュアスケーターだ。まだ10代だが、すでに2度の骨折を経験し、苦境から立ち上がり、さらには自らの意志でリンク外でアクションを起こして夢への道を切り開いてきた。氷上で見せる力強いジャンプと指先まで神経の行き届いた表現力、愛らしい笑顔。そして、何があっても目標を見つめ続けられる高き志。そのエネルギーはどこから生まれてくるのだろう。

18年秋のこと。2022年の大舞台で世界中に夢と感動を届けるための活動資金を得るために、当時16歳の白岩がクラウドファウンディングを開始したことは、大きな話題となった。告知サイトではフィギュアスケートへの思いはもちろん、夢の実現のために必要な内容とそれぞれの費用をつまびらかに公開。年間活動費用として必要な600万円の内、400万円を目標額として設定したところ、わずか1日でその2倍超の支援が寄せられた。

少女の情熱と覚悟が人々を感動させたのだろう。白岩自身は当時の思いをあらためてこのように語る。

「シニアになってからなかなか良い成績を出せず、スポンサーもつかない状態が続いていました。でも、22年の大舞台には絶対に行きたい。その思いを募らせながらも、4年後までを考えると活動費が足りない状態でした」フィギュアスケートで世界のトップを目指すためには、リンクで練習をするだけでは足りず、海外に行ってダンスやバレエなどのレッスンを行っていくことが必要不可欠だ。「最初は、本当に集まるのかなという不安がありました。ですから1日で目標額を達成することができたことに、とてもビックリしました」

クラウドファンディングで集まった資金を元に、昨シーズンのオフはアメリカでの合宿を例年の一度から二度に増やすことができた。現地でダンスやバレエのレッスンを受ける費用にも活用した。「ダンスやバレエをすることによって体の動かし方が身についてきます。きれいな動きができるようになったという自信はまだありませんが、少しずつ良くなっているので、良い方向に向いていると感じています」

現在、高校3年生。登校できない日は多いが、その分はインターネット授業で補い、自宅でも勉強は欠かさない。得意科目は英語と国語。読書が好きで、海外遠征のときには必ず本を1冊買って持って行く。20年春には大学に進学予定で、「大学に入っても勉強とスケートの両立をできるように努力していきたい」と話す。

「一度目標を掲げたら、それを変えたくないんです」

大きな夢を持つ10代ならではのキラキラとした目がまぶしい。

"4分間の全力疾走"にエネルギー補給は欠かせない

フィギュアスケートの演技時間はショートプログラムが2分40秒以内、フリーは4分以内。見た目は華麗だが想像以上に負荷は大きい。「ショートプログラムは短いから楽でしょ? と言われるのですが、その時間にできるだけ多くの技を詰め込んでいるから、全然楽じゃないんです(苦笑)。曲がかかっている間はつねに全力疾走の状態です。以前、心拍数を測ったら、演技の後半は200まで上がっていました」

試合で持てる力の100%を出すためには、毎日のハードな練習が欠かせない。その練習を継続するには、コンディショニングや栄養サポートが重要だ。日頃から練習後のクールダウンやストレッチはもちろん、各種のセルフケアも怠らないという白岩だが、それでも足りない部分を補うために、inゼリーは非常に役立っているという。例えば試合に向けての1週間の海外遠征では、スーツケースに7個のinゼリーを詰め込むのが毎回決まった準備。これは森永製菓のサポートを受ける前からの習慣だったそうだ。

inゼリーを飲むタイミングは基本的に演技の前。時間は試合の滑走順に応じてきめ細かく調整する。種類も決めており、ショートプログラムの前はinゼリーの「エネルギー」を、フリーの前は「エネルギーストロング」を飲む。

「試合前は緊張であまり食欲がないことがあるのですが、そういうときでも栄養補給ができるのでとても便利です。これを飲んでいれば空腹感も満腹感もなく、ちょうど良い感じで力を発揮できます」実は、ジュニアからシニアに上がった頃から食事面で悩むことが増えていたという。

「何を食べるのが良いのか、何が良くないのか。私も母もすごく悩んで、手探り状態でした」そんなタイミングで受け始めたのが森永製菓のサポート。

毎日三度の食事の写真をトレーニングラボの担当栄養士に送り、助言を受けていることで、フィジカル面はもちろんのこと、メンタル面にもプラスの作用があった。「栄養士さんがついて下さっているお陰で、食べていいものが分かり、食べることが怖くなくなりました。今ではちゃんと栄養を取るために、食事の時間を楽しんでいます」以前は100グラム単位の増減にもピリピリしていたが、そこまでシビアに管理しなくても大丈夫と助言されて気持ちに余裕ができたとニッコリ。

15歳で左足を骨折、16歳で腰を疲労骨折

ノービスからジュニアに上がった2015ー16シーズン。日本スケート連盟の強化選手に選ばれてISUジュニアグランプリシリーズに参戦した白岩は、上位選手だけが出られるジュニアグランプリファイナルにも進出し、その2週間後の12月下旬に行われた全日本選手権では初出場で5位に入る大躍進を遂げる。順風満帆を絵に描いたような成長はとどまることなく、翌16年3月に出た世界ジュニア選手権では4位になった。

もっと練習をして、来年は表彰台に上がろうーー。

やる気に満ちあふれて日々のトレーニングにまい進していた矢先のこと。世界ジュニアを終えてから約1カ月後の4月に、左足脛骨の骨折が判明した。白岩自身は救急車で病院に行ったその日までは違和感すらなかったというが、レントゲンでは以前から痛めていた跡が確認された。

好事魔多しとはこのことだろう。しかし、白岩はケガを嘆くだけのことはせず、しっかりと自分を見つめ、原因を探った。「ちょうど4回転ジャンプの練習を始めたタイミングだったのですが、ジュニアなので疲れも知らず、セルフケアもあまりせずに練習だけしていたのが良くなかったのだと思います。体の使い方も悪かったのか、少しずつスケートのエッジの使い方がおかしくなっていて、それが足の負担を増やしていたのかもしれません」このとき、氷上から離れたのは約2カ月。ケガは順調に回復し、どうにか秋からの試合には出場することができた。

ところがまたしてもケガに見舞われた。16年12月の全日本選手権。シーズン序盤の出遅れを乗り越えて総合6位になり、2年連続で世界ジュニア選手権の出場権を獲ったときに、腰に痛みが走った。最初は疲労だろうと思っていたというが痛みが引かず、年末に病院へ行くと、腰を疲労骨折していた。右肩上がりの成長期に相次ぐ負傷に見舞われてしまったのだ。

「1回目の骨折から復活したときは、とにかくスケートが楽しくて、もう一度世界ジュニアに行きたいと思ってやっていました。全日本選手権で6位になって世界ジュニアの代表に決まり、『よし、今度は表彰台に乗るぞー』と思ったときの腰のケガ。そのときはショックでした」

涙に暮れた。しかし、ここでくじけないのが白岩の強さだった。「起こってしまったことはもう過去の出来事であって、変えられない。『なんでケガをしたんやろ』という気持ちを口にしても、もう過去のことです。それよりも、ケガをしたことを自分でどうとらえて、プラスに持って行けるか。それによってまた新しい目標をつくっていこうと思いました」自分の中で気持ちの整理をつけた後は、周りの人に相談しながら再スタートを切っていった。まずは腰に負担のかからないトレーニングから着手し、ケガをしないための技術的な改善にも取り組んだ。そして、17年3月の世界ジュニア選手権の舞台では5位という成績を収めた。傍から見れば十分な成績。けれども、白岩自身は満足できなかった。「負けず嫌いなので負けっぱなしはイヤなんです。『いつか勝つぞー』と思いながらやっています」

自分のやりたい演技を求めて楽しむ

辛かったことをすべて笑顔の奥に封印して夢へ突き進む。そんな白岩が大会のたびに自分に課しているのが、映像チェックだ。演技内容が良くないときはどうしても見たくなくなるもの。しかし、試合結果にかかわらず毎回必ず見ているという。「小さい頃は練習や試合で良くなかったときは『見たくない』と言っていたのですが、『失敗から学ぶところがある』という両親の教えがあって、今ではそれが習慣になっています。失敗したときの感覚がまだ残っているときに見ると、感覚と映像が合っているのかどうかがよくわかるんです」

家族の支え、コーチの支え、スポンサーの支え、そしてクラウドファンディングを通じてつながったファンの支え。多くの支えが大きなエネルギーになる反面、ときにはプレッシャーになることはないのだろうか。

「クラウドファンディングでたくさんの方が支援してくださっていると分かったときは、結果を出さなければいけないと思い過ぎたこともありました。試合直前に、『絶対にここで結果を出さないとファンの方が喜んでくれない』と思って、自分で自分に呪いをかけてしまったんです。それが18年の全日本選手権でした。でも、うまくいかなかった経験を踏まえて、自分がしたい演技をすれば結果は出るというように、考えを切り替えました。そうすることで、自分にあまりプレッシャーをかけることなく、試合でも楽しんで滑ることができるようになりました」

目標に向かってひた走るホープが銀盤で笑みを浮かべるとき、その姿は多くの人にエネルギーを与えてくれるはずだ。

(文・矢内由美子)

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