What's Energy?

Vol.02

2019/10/21

柔道

原沢 久喜

日本柔道の期待を背負う原沢久喜のエネルギーの源

輝かしい栄光からの挫折と、取り戻した情熱

どこまでも穏やかな、柔和な表情だ。母校であり現在も練習拠点としている日本大学の柔道場に姿を現した原沢久喜は、撮影の注文にもにこやかに対応し、気遣いもしばしば見せる。本来、温厚な人柄であることをうかがわせる。

だが、後輩たちとともに行なう練習が始まると一転する。畳の振動音や掛け声が響く中、一人、黙々とストレッチを始める。鋭い眼光とともに集中する姿には気迫が満ち溢れる。
原沢は、日本男子柔道の最重量級の第一人者として活躍してきた。

だが、すんなりと道を歩んできたわけではない。
今も苦い記憶として残るのは2017年の夏のことだ。世界選手権で初戦敗退を喫したのである。直接の要因は、体調不良にあった。
「世界選手権の何カ月も前からすごく疲れている、疲労が抜けない感じがありました。心拍数が早くて、ちょっと階段を上がったりすると息があがる。自分の中では、試合前で気持ちが高ぶっているからとか、追い込んで練習して疲れているんだろうなという認識でした」

大会から帰国後、原沢は病院に行った。くだされた診断は「オーバートレーニング症候群」。スポーツ活動において生じる生理的な疲労が、十分に回復しないまま積み重なって引き起こされる慢性疲労状態のことだ。身体面、精神面双方が原因となる症状でもある。
「今思えば、なかなか気持ちも上がらない中で、それでも練習していかないといけないみたいな気持ちもあって、心と体のバランスが崩れた時期なのかなと思います」
第一線に立ち続けてきた疲労か。柔道に懸けるエネルギーは、尽きていた。
診断のあと休養する。畳を離れて過ごす日々が続いた。

だが、そのままでは終わらなかった。やがて、気持ちが向いたのは、やはりというべきか、柔道だった。
「もっと柔道を頑張っていきたい。自然とそういう気持ちが湧いてきました」
覚悟の決まった原沢は、ある決断をする。所属先であった日本中央競馬会(JRA)をやめて、プロになることだ。それまでの平均的なサイクルは、朝練習してから出社。午前9時半から午後2時まで勤務し、その後練習というのが基本であったが、「1日柔道に時間をあてたほうがいいんじゃないか」、そう考えるようになっていった。

柔道界ではほとんどの選手が実業団に籍を置き、プロというあり方はこれまで一握りと言ってよい。思い切った選択であったし、安定した収入を捨てる、安定した生活を投げ打つことを意味していた。
「なんとか暮らせるだろうなと思ったので、あまり考えずにやめちゃいました」
原沢は笑みを浮かべると、続けた。
「もともとは安定志向な性格ですけど」
リスクを冒してでも実行したのは、柔道のためにほかならなかった。
2018年4月末をもってJRAを退社し、プロとしてやっていくことを発表する。

変化する柔道の世界で見出した課題

原沢が柔道への意欲をあらためて取り戻したその頃、ルールの改正により、柔道には変化の波が訪れていた。
2013年に旗判定を廃止し決着が着くまでゴールデンスコア(延長戦)が無制限に行なわれることになっていたが、それに輪をかけたのが2017年11月の改正だった。延長戦に入ってからも指導が計3つになって反則負けとならない限り、指導の数に差がついても勝敗を決しないとしたことから、ときに10分を超える試合も珍しいことではなくなり、選手はより持久力を求められるようになったのだ。

必然的に選手は試合ごとのエネルギーの消耗が激しくなり、試合へ向けてエネルギーを蓄える、あるいは試合で消耗したエネルギーを次の試合までに回復させる重要性が増した。
原沢も、柔道の変化を認識していた。
「延長戦が無制限になったこと。そして指導が早くなった分、試合の展開が速くなったこと。毎試合戦い切るためのエネルギーがより必要になってきます」

大会では、多いときには勝ち上がれば1日に5、6試合戦うことになる。それぞれの試合を短時間で終えることができれば消耗は少ないが、相手のあること、そういうわけにはいかない。延長戦に入る試合が重なることも想定しての体力作りが重要となる。
実際、原沢が優勝した2018年の全日本選手権では、初戦となった2回戦こそ本戦の4分以内に勝利をおさめたが、3回戦以降はすべて延長戦にもつれた。準決勝は7分35秒を要し、決勝開始までは10分ほどの間隔しかなかった。

大会そのものの時間も長い。例えば今年8月に東京・日本武道館で開催された世界選手権では、原沢は午後早めの時間に初戦を戦い、決勝を迎えたときには午後9時を過ぎていた。
「大会の当日、しっかり戦えるエネルギーを蓄えることと、試合と試合の間に回復を図ることの重要性は昔より増してきていると思います」
そう感じていた原沢は、再スタートを切る時点で抱いていた、「もう一度、細かな部分から改善して、少しでも周りとの差を広げたいという思い」により、取り組むべき課題を見出していった。それは栄養面である。

練習と試合で欠かせない武器を手に

折しも、中堅からベテランにさしかかろうという時期を迎えていた。
原沢は今日の姿からは意外なことに、高校に進学する時点では66kg級の選手だった。入学後、身長と体重が増えていき、重量級へと移行した。90kgくらいまでは自然に増えていき、そのあとは意図して食事を多くとり、高校3年時に100kg超級の選手になっている。
「今考えると、食事の内容はめちゃくちゃだったと思いますが、とにかく量だけはしっかり食べていた感じです」

ただ、年齢を重ねた今日と当時とでは、身体面にも違いがある。
「若いときはどれだけ練習しても体力が回復していましたし、疲れ知らずのところがありました。でも、年齢とともに無理がきかなくなってきてはいました」

食事のとりかた、栄養のバランスを突き詰める中で、重用したのは「inゼリー」だった。ゼリー状の飲料で、エネルギーや栄養素を素早く摂取することができる。
「日常では練習前と練習後に摂取します。昼食をとってから練習までの間、時間があると空腹になるんですね。そのとき、inゼリーを飲み、素早くエネルギーを入れることで練習の質が向上するし、しっかり動けるようになる実感があります」
さまざまな種類がある中でも愛用するのは「エネルギーストロング」。冷やさず、常温で飲んでいるという。
inゼリーを活用しているのは、練習のときだけではない。
「大会のときには試合と試合の間で飲んでいます。勝ち上がれば、5、6試合戦うことになるので、けっこう長い時間になります。1個飲んだり2個飲んだり、トータルでは相当な数です。すぐエネルギーとして摂れるので、とても大きい存在ですね」

今日では森永製菓からのサポートを得て、定期的に自宅に送ってもらっているが、もともと、サポートを受ける前から飲んでいたと言う。
「コンビニで買っていたりしました。大会前とかは他の選手と宿舎が一緒になるのですが、そういうときは近くのコンビニからinゼリーがなくなるんです。僕だけじゃなく、みんな飲んでいましたから。だから、サポートしていただけると聞いたときは、『ラッキー』と思いました(笑)。サポートしてもらう前は自分のタイミングで飲んでいましたが、今は栄養士の方に相談しながら最適なタイミングで摂るようになりました。そういう意味でも、取り組みは改善されていると思います」

手厚いサポートを得た今、揺るがぬ信念

原沢は毎週、森永製菓のトレーニングラボに出向き、トレーニングなどを行なっている。
「チームとしてサポートしてもらえて、いろいろな面からフィードバックをもらえるのですごくありがたいですね。トレーニングも、マッサージのケアも含めて。ここまでしっかりやってもらえるんだな、という印象があります」

原沢の表情、口調に、今、迷いは一切感じられない。ただまっすぐ柔道に向き合っていることが伝わってくる。2017年当時の葛藤は、そこにはうかがえない。
「逆境に強いというか、追い込まれないと奮い立たないというところはあるかもしれないですね」
と、原沢は言う。

思い起こせば、日本重量級のエースになるまでの過程がそうだ。2014年の講道館杯の初戦で敗れ、その座は遠のいたかに見えた。だがそこから国際大会で7大会連続優勝するなど驚異的な巻き返しを見せて、トップに立ったのである。
だから今、こう思う。
「一回どん底を味わったほうが開き直れるというか、あとはやるしかないという気持ちになるのでそこから上がっていけると思うんです。2017年もそういうきっかけになったと思うし、1つのポイントになっていると思っています」

今、視界にあるのは、今後控える大舞台だ。
「最重量級は歴代の方たちが強くて、素晴しい成績を残してきた階級です。だからでしょう、自分への期待は大きいものがあります。昔はそうした周りの声を聞きながらやっていたところもあります。でも最近は、自分の目標に向かってやるだけだと思っています。来年は1つの集大成だと考えているので、そういう思いが、自分のエネルギーになっています」
2017年に初戦敗退の憂き目にあった世界選手権では、2018年に銅メダル、2019年には銀メダルを獲得。一歩一歩、階段を上がってきた。

もちろん、来たるべき大舞台に立つのは容易なことではない。代表になれるのは1人だけだが、同じ階級にはライバルというべき選手たちがいる。彼らもまた、虎視眈々と大舞台を視野に入れている。少しでも隙を見せれば勝つのが容易ではないことは、2017年に国内の大会で優勝を逃し続けたことが物語っている。

それでも、目標へ向ける原沢の視線に揺るぎはない。
根底にあるのは長年打ち込んできた柔道への思いであり、大舞台での青写真である。原沢のエネルギーを生み出す源がそこにある。

視界は良好。
inゼリーを日々手にしながら、日本最重量級の柱、原沢久喜は、その日へとひたむきに、真摯に進んでいく。

(文・松原孝臣)

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