What's Energy?

Vol.01

2019/9/20

テニス

錦織 圭

[錦織が最終セットに強い理由]知力と精神力、それを支える身体のエネルギー

錦織の最終セットの勝率はジョコビッチを上回る

テニスプレーヤー錦織圭を語るとき、勝敗を分ける山場の攻防での勝負強さ、特に試合終盤の勝負強さは、欠かせない要素だ。

驚くべきデータがある。普段のツアーは3セットマッチ、グランドスラム(四大大会)は5セットマッチで行うが、錦織の最終セットの勝率、つまりフルセットにもつれた試合での勝率は75.0%に達する。これは男子ツアーで「ビッグ3」と呼ばれるレジェンド級の選手たちをも上回る。世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチが73.6%、2位のラファエル・ナダルが68.4%、3位のロジャー・フェデラーは65.7%(19年9月1日現在)。錦織はフェデラーに10%近い差をつけていることになる。

現役の強豪だけでなく、ピート・サンプラス、ジョン・マッケンローなどテニス史に残る選手たちも錦織の数字に及ばない。

ジョコビッチやナダル、フェデラーは、相手に隙を見せず、1セットも与えずに勝つことも多く、一方の錦織は接戦を強いられ最後になんとか勝つ試合が多いことも事実だ。1セットも落とさず勝てればそれに越したことはないが、群雄割拠のテニス界で小兵の錦織がストレート勝ちを続けるのは現実的でない。もつれた試合に強いのは、勝負強さとフィジカル、メンタル両面の強さを示す勲章である。

最終セットに強いのは、複数の要因がからみあっている。

ゲームが進むにつれて読みが研ぎ澄まされ、序盤は苦労していた相手のショットに苦もなく対応してしまう。相手のプレーについての情報を蓄え、最も有効な対策を打っていくのだ。また、接戦になればそれだけ集中力が上がり、ショットの精度も上がる。

最後までパフォーマンスを落とさず戦うには、フィジカルの支えも重要だ。17年夏に右手首を負傷、約半年間のツアー離脱を強いられたが、これを除けば故障は劇的に減り、欠場や棄権、試合途中での棄権もめっきり少なくなった。ここ数年、錦織は「体が強くなった」という表現をたびたび使っている。

こうした勝負強さが、昨年のウィンブルドンから今年のウィンブルドンまで四大大会で5大会連続ベスト8以上という安定した成績につながっている。

5時間5分の試合を制した錦織が「タフになったと感じる」

19年1月の全豪オープンで、こんな試合があった。

パブロ・カレノブスタ(スペイン)との4回戦はもつれにもつれ、第5セットも6-6。試合の決着はこの大会から採用された10ポイント先取のタイブレークに持ち込まれた。タイブレークは5-8となり、あと2ポイントで敗退のピンチだった。ここで主審の判定にカレノブスタが猛抗議、しかし判定は変わらず、6-8となる。平常心を失ったカレノブスタから錦織はさらに4ポイントを連取し、劇的な逆転勝ちを収めた。所要時間5時間5分は自身のキャリア最長となった。

錦織は「タフになったなと感じます。経験や体の強さ、いろんなものの積み重ねだと思う」と振り返った。

5時間に及ぶ戦いの最終盤、すでにスタミナを使い尽くしたはずなのに、最後の最後に5ポイントを連取するだけの体力が178㎝、74㎏の体には残っていた。以前は190㎝クラスの大男たちの中でひ弱に見えた錦織が、大きさだけでは計れない、高性能のフィジカルを手に入れたことが分かる。

陣営でフィジカル強化を担当するトレーナーのロビー・オオハシ氏とともに体を鍛え、強さと速さ、スタミナを兼ね備える肉体を作り上げた。また、栄養面や体のケアにも人一倍気をつかうようになった。小兵の錦織がマラソンマッチを勝ちきるのは、そうした精進のたまものだ。

「脚はキツかったが、集中しすぎていて、終わったときは5時間やったとは感じなかった」と錦織が胸を張った。肉体はどんなに疲れていても、熱戦を続けるうちに大量のアドレナリンが分泌され、かえってスムーズに動けるようになる。「火事場の馬鹿力」の原理である。ただ、彼が終盤に強いのは、単に火事場の馬鹿力という話ではない。試合前から周到な準備を行い、試合中もパフォーマンスを維持するために最善を尽くすことが前提であることを見逃してはならない。

水分補給、栄養補給が終盤のパフォーマンスを左右する

仮に1セットが45分で決着したとして、3セットで2時間15分、グランドスラムで5セットをフルに戦えば3時間45分になる。テニス選手はこの長丁場を全力で走り切らなくてはならない。しかも、勝負を分ける山場は試合終盤に訪れることが多い。体力が落ち、思考力、判断力も低下すれば、命取りになる。体力が限界を超えてしまったら、たとえ勝利目前でも涙を飲むことになる。

だから選手はフルセットを戦い抜くフィジカルをトレーニングで身につけ、栄養面にも人一倍、気をつかう。食事での栄養のとり方と、試合中の水分補給や栄養補給のノウハウは、プロ選手の全員が理解しているだろう。

同じ3時間45分でも、選手のスタイルによって消耗度に大きな差が生じる。サーブをドカンとぶち込み、それがあっさりエースになっても、いつ果てるとも知れぬロングラリーを制しても、1ポイントは1ポイント。後者の得点パターンが多い小兵選手は、その1ポイントに大きなエネルギーを費やす。錦織も多大な労力を1ポイントに注ぎ込まなくてはならないタイプだ。2階から打ち下ろすようなサーブでエース量産とはいかず、ベースラインでのロングラリーを続けて、いかにポイントを奪うかに全力を尽くす。

頭を使い、ショットの組み立てやコース選択を緻密に行う。さらに、持ち前のフットワークを攻守に生かし、脚でポイントを奪う。つまり、頭と肉体をフル動員し、まさに骨身を削りながらの1ポイントを試合終了まで重ねていく。

したがって、消耗をいかに最小限に抑えるかが生命線となる。試合中、チェンジエンドやセットブレークでベンチに戻るたびに、錦織は水分補給につとめる。水と、体が吸収しやすいように調整したドリンクをこまめに飲み、栄養補給のために、ジュニアの頃から愛用してきたゼリー状の飲料「inゼリー」をたびたび口にする。おおむね1セットに1個の割合で、5セットにもつれれば5個。そうやって試合中にエネルギーを補給することは、いまや自分なりの決まりごと、つまりルーティンとなっている。

エネルギー補給について、錦織はこう話している。

「チェンジエンドの休憩は90秒しかなく、その間に水分もエネルギーも摂らないといけない。長くなると3時間、グランドスラムなら、4時間5時間というのもありえるので、常に試合の後半のことを考えて体に入れておく」

勝つために最善の準備を行い、試合の中でも心身のコンディションをベストに保つための算段をする。それらをルーティンとしてこなすことは、心の支えにもなるという。

「いつも飲んでいる味と食感を体に与えるだけで落ち着いてくる。余計なことを考えないようにするために(ルーティンとして)飲んでいる、ということもあるかも知れない。飲んでいると集中力が自然と高まる」と錦織は言う。

そうやって、耐えるべき時間帯は耐え、攻めるべきときは攻めて勝機を探る。もちろん、最後まで決してあきらめない。

「どこでチャンスが来るかわからない。序盤から調子が出るときもあれば、最後の方まで調子が出ないときもある。相手がいるスポーツなので、チャンスが来ないこともある。それでも、絶対にあきらめないことだったり、平常心を保ってプレーすることを常に意識している」

終盤の逆転劇も多い錦織がみずから明かす秘訣である。

強いフィジカルが思考力、精神力の土台となる

もう一つ、フィジカルの強さと集中力でマラソンマッチを勝ちきったという意味で、印象的な試合がある。

19年全仏オープン3回戦で錦織はまたも5セット、4時間26分のマラソンマッチを演じた。セットカウント2-1と先行したが、第4セットはチャンスを逃してラスロ・ジェレ(セルビア)に譲った。形勢が相手に傾いて迎えた最終セット、錦織はサービスゲームを2つ続けて落とし、ゲームカウント0-3の窮地に陥った。

男子テニスでサービスゲームを1セットに2度も落とせば、まさに致命傷となる。このクラスのトッププレーヤーがサービスゲームをキープする確率は80%前後に達する。それをここから2度破らないことには勝利はないのだ。頭の片隅には「無理かな」という思いもあったという。「相手にこのままのプレーをされたらしょうがない」と敗戦を受け入れる気持ちもなくはなかった。

それでも、あきらめてはいなかった。「1本ずつ。いつかチャンスが来る」と集中力を上げた。そうして、一か八かの攻めではなく、理詰めのテニスで、慎重に相手を追い詰めていった。相手のジェレは、まだ5セットに及ぶ試合を経験したことがなかった。勝利が見えてきて硬くなったのか、プレーの精度が下がった。いや、錦織の冷静なプレーの重圧が--一度は引き離した相手が背後からひたひたと迫ってくる足音が--彼の腕を縮ませたと見るべきだろう。

2度のサービスブレークで、とうとう4-4に追いついた。その後もプレーで相手に重圧をかけ、8-6で相手を仕留めた。試合が進むにつれて、プレーは力強さと堅実さを増した。これこそ最終セットに強い錦織の真骨頂だ。記者会見でフルセットに強い理由を聞かれた錦織はこう答えた。

「集中力があまり落ちない。ファイナルセットになると上がってくるような気がする。今日みたいな試合では、あきらめないことが本当に大きな力になった」

テニスの試合は自分の思うようにならないことが多い。うまくいかない状況でも、気持ちを切らさず、前を向く。あきらめず、冷静さを失わず、自分のやるべきことに徹する。集中し、最適な戦術、ショットを選び取る。最後に笑うのは、そういう戦い方ができる選手だ。

0-3の窮地から錦織が披露したのは、超一流の集中力と精神力、さらに思考力や判断力、決断力といった「知力」だ。それを支えるのは強いフィジカルであり、彼の体に蓄えられたエネルギーだ。

4時間超の試合になっても、全身にエネルギーを送り込み、体と心、頭をフル稼働させる--それができるから、錦織はフルセットを勝ちきることができるのだ。


(文・秋山英宏)

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