
経歴
1998年入社 医薬研究所
2000年 医薬カンパニー事業戦略部
2005年 東海事業所品質保証部
2008年 産休・育休
2009年 味の素製薬
2016年 バイオファーマサービス部
2022年 川崎工場 企画管理部
2024年 川崎工場長
・マイパーパス:
「ポジティブなエネルギーで
世の中に笑顔のスパイラルを!」
・趣味:登山、キャンプ
・キャリア観に影響を与えた書籍:
「そうか、君は課長になったのか」
私は工場長の打診を受けた時点で、正直にこう伝えました。
「残業はできません。それでも良いでしょうか」と。
就任前から、基本は定時で仕事を終えるスタイルを続けており、工場長になった今もそれは変えていません。
会社には、私以外にも誰かを守れる頼れる仲間がいます。
でも、子どもを守れるのは私しかいない。だからそうせざるを得ない、というのが正直な気持ちです。
それは、従業員の皆さんも同じです。一人ひとりに、それぞれ守るべき生活があります。
だからこそ私は、「定時で帰る人でも仕事ができる」ことを示していかないと、何も変わらないと思っています。
大切なのは、「その時間までに、やるべき仕事をきちんとやること」。
それができていれば、何も問題はないはずです。
限られた時間で成果を出そうとすれば、必然的に生産性は上がります。
私は17時で仕事を終え、家では「母」に戻ります。晩ご飯のこと、子どもの教育のことを考える時間です。
実は、この時間が仕事にも効いていると感じています。
生活者としての視点を持つことで、市場やお客様のニーズが自然と見えてくるからです。
電車ではスマホを見ず、本を読んだり、人間観察をしたりする。
そうした感性の積み重ねが、現場のマネジメントに生きていると感じます。
育児や家事は、決してデメリットではありません。むしろ、これからの時代に必要な感性を磨く大きなメリットだと思っています。
「なぜ女性に活躍してほしいのか?」
私はずっとモヤモヤしていました。
工場長の話をいただいた際には、「女性だから工場長に選ぶのはやめてほしい。私が工場長になることで川崎工場が良くなり、それが会社にとって良い、その観点でアサインされるのであれば受けます」と伝えました。
それでも選ばれたということは、何か意味があるはずだと思い、理由を尋ねました。
返ってきたのは、こんな言葉でした。
「工場の文化を変えたい。もし男性で同じ考え方の人が工場長になった場合、『なぜ今までと違うことをするのか』と、かえって変化が受け入れられにくくなる可能性がある。一方で、女性であれば“今までと違うことをする存在”として、変化そのものを受け止めてもらいやすい面があるのではないか」
この話を聞いて、腑に落ちる部分がありました。
それは、女性であること自体が評価された、というよりも、変化を始める「きっかけ」として、結果的に機能した側面があった、ということなのだと受け止めています。
一度変わり始めれば、その後は性別に関係なく、これまでと違う考え方や取り組みも自然に受け入れられていく。
その流れをつくる最初の役割を、たまたま私が担ったのだと、今はそう考えています。
私のキャリアは、研究所の医薬系から始まりました。
その後、本社で医薬の事業戦略を経験し、製造部門である東海事業所の品質保証へ。女性の研究所出身者が工場に行くのは珍しく、当時は「研究所出身なのに、転勤をともなう工場への異動なんてありえない」と思っていました。
でも、今振り返れば、この異動こそが、私の会社人生で一番ありがたかった経験だったと感じています。
現場は本当に楽しかったです。
モノづくりの面白さ、人の力、現場でしか見えない価値を、東海事業所の仲間たちから、たくさん教えてもらいました。
その後、産休・育休を経て本社で生産管理や事業開発を経験し、4年前に川崎工場へ。2年前に工場長に就任しました。
医薬バックグラウンドの人財が川崎工場に来ることも、女性が基幹職(一般的表現では管理職)として部門長になることも、いずれも会社としては初めてのことでした。その節目ごとに、常に私を支えてくれたのが上司やメンターの存在です。
基幹職になった当時、会社に勧められて他部署の二つ上の役職にある先輩とキャリアについて対話を行うメンタリング制度を利用しました。
「私に何ができるんだろう」と悩んでいた私に、メンターはこう問いかけました。
「何がしたいの?」この、たった一つの問いが、私の転機になりました。
考え抜いた末に気づいたのが、「私は生産が好きだ」「生産で一緒になった東海事業所のメンバーたちに恩返しがしたい」という、自分のキャリアの軸でした。
また、マネジメントを任せられた時も、その当時のメンターから、「神様は、乗り越えられない試練は与えないから」とも背中を押されました。
その言葉に支えられ、「やってみるか」と挑戦してみた結果、人を支え、少しスパイスを加えることで誰かが前に進む——その瞬間に、大きなやりがいを感じるようになりました。
今、私は工場長という役割を担っていますが、その仕事は、工場で働く全員の命を預かる立場でもあります。
責任が重く、怖いと感じるのは当然ですし、正直、今でも「逃げられるなら逃げたい」と思うことがあります。
それでも、それ以上のやりがいがある。だから「頑張ろう」と思える。
良い仲間がいることも、大きな支えです。味の素と仲間に育ててもらったから、恩返しがしたい。
人が成長し、組織が成長し、その先で社会に少しでも貢献できたら——そう思えるようになったことが、今の私の原点です。
今は私自身がメンターの立場として、「どんな価値を生み出したいのか」「どんなことで貢献したいのか」という問いを投げかけています。
問いをもらうことで、人は自分の軸に気づけるのだということを、身をもって実感しています。

川崎工場の強みは、「ものづくりの最前線」にいる現場の知恵と熱量が、価値として形になる点にあります。
マザー工場であり、事業所や研究・戦略部門がすぐそばにあるという立地と役割だからこそ、製造現場で見えていることを、スピード感をもって研究員や事業部と共有し、共に磨き上げていくことができる。この連携の近さは、川崎工場ならではの大きな強みです。
これまで製造部門は、「事業部から言われたことをきちんとやる」「生産量が少ないのは事業部の事情」と、受け身になりがちな側面もありました。
しかし今は、「製造現場にしか見えない価値がある」「人それぞれの強みを活かせば、もっといいものができるはずだ」という意識が広がり、自分たちから顧客視点での提案を事業部に投げる動きが生まれています。
実際に、事業部からは「川崎工場は変わった」「顧客視点の強い提案が増えた」という声も聞かれるようになりました。
ものづくりの楽しさや誇りを原点に、管理型から変革型へ。
現場力を根っこに、組織カルチャーという土壌の上で、共創という幹を太くしていくことで社会価値と経済価値の双方を創出していくことを目指しています。
私はその方向性を示し、背中を押しただけです。
変化を起こしているのは、現場で主体的に考え、動き始めた一人ひとり。
川崎工場は今まさに、「誰かに言われたからやる」のではなく、「自分たちで価値を生み出す」工場へと変わりつつあります。
仕事のことだけを見るのではなく、「人が笑ったら面白いな」そんな“ちょっとした遊び心”を大切にしています。
厳しいことを言わなければならない立場だからこそ、普段は明るく、よく笑い、ツッコミも入れる
その積み重ねがあるからこそ、必要なときに厳しい指摘も受け止めてもらえているのかもしれません。
あるとき、パートさんの部屋に「ノーミス〇〇日」と掲示されているのを見かけました。
本当はとてもすごいことなのに、あまりに当たり前になっていて、誰も特別に触れていなかった。
「これって、すごいことなのに」そう思い、手書きのメッセージとお菓子を添えて、ささやかなお祝いをしました。
「元気にしているかな」「いつもと少し違わないかな」
人を動かすうえで一番大切なのは、「自分の正しさ」を押しつけることではなく、相手が今どんな立場にいるのかを想像することだと思っています。
その視点に立てたとき、自然と一人ひとりの違いが見えてくる。
私にとってダイバーシティとは、特別な施策ではなく、そうした「相手の立場に立つ姿勢」の積み重ねなのだと感じています。
こうした小さな変化に目を向ける感性は、これまで人や生活に向き合う役割を担うことの多かった女性だからこそ、自然と磨かれてきた部分もあるのかもしれません。
人にしか気づけないこうした感覚は、AIや仕組みでは補いきれないものです。
だからこそ、これからの現場では、こうした“気づく力”が、確実に組織を支える力になると感じています。
現場からトラブルが完全になくなることはありません。でもトラブルは起こしたくて起こしているわけではない。
起きてしまったこと自体を責めても、前には進めません。
たとえ一時的に大きな損失が出たとしても、その経験から学び、将来より大きな損失を防ぐことができるのであれば、それは「価値」に変えられると考えています。
私が現場に伝えているのは、「倍にして取り返そう」ということです。
何が起きたのか、なぜ起きたのかを深く考え、学びとして次に活かす。
そこからどれだけの改善や成果を生み出せるかが、何より重要だと思っています。
「やってみたら、景色が変わる」。
よく聞く言葉ですが、私は本当にその通りだと感じています。
もちろん、失敗は怖い。でも、失敗してもいい。挑戦しないと成長もできません。
一番大切なのは、周囲がどれだけ「守るから大丈夫だよ」というメッセージを発信できているかだと思います。
その一言があるだけで、人は一歩を踏み出せる。人は、自分の可能性に気づいていないことが多い。
外から見れば「いける」と思える人に、「失敗しても戻れる場所があるから大丈夫」と伝え、背中を押す。
私はやってみて、「生産に貢献したい」という自分の想いに気づきました。
私を育ててくれた味の素と仲間に恩返しがしたい。その先で社会に貢献できたらいい。
そんな想いを持てたことが、何よりの財産です。
私のように大したことのない人間でも、何かを発信することで誰かの役に立てるかもしれない。
日本の製造業が、少しでも勇気を持って前に進む——その一助になれたら、これほど嬉しいことはありません。
話の中で「女性だから選ばれたのでは」と語られた時、私自身、似たような違和感をずっと抱いていたことに気付きました。
私は違和感で終わらせていましたが、澄川さんはそれを“変化を起こすきっかけ”として前向きに捉えていらっしゃる姿がとても印象的でした。
直接お話をすることで新しい一歩を踏み出す勇気をいただきました。











