ココアとチョコレートの生い立ち
(ココア&チョコレート年表)

紀元前~17世紀:カカオから作られる高級飲料”チョコレート”の普及

紀元前
中南米のマヤ、インカ、およびアステカ族、カカオを栽培。貴重な飲料として使用。また、通貨としても流通していた。
1502年
コロンブスは第4次航海で現在のホンジュラスにおいてカカオ豆を入手していたが興味を持たず、スペインに持ち帰るが用途も知らずに終わる。
1519年
エルナン・コルテス(スペイン)が、メキシコ東岸に到着。
コルテス、アステカの首都(現在のメキシコシティ)に入城。モンテスマ二世よりカカオ飲料をもてなされ、現地人より作り方を知る。
1528年
コルテス、アステカを制圧。数々の略奪品とともにカカオ豆をスペインに持ち帰った。時のスペイン帝国カルロス王に献上。これが、カカオの実質的なヨーロッパへの伝来となる。
1580年
スペインで宮廷、僧侶を中心に飲料チョコレートが普及する。この年初めてチョコレートブロックが作られる。
1613年
仙台の伊達政宗家臣・支倉六右衛門常長一行が出航、太平洋を渡り、メキシコを経由、大西洋を横断してヨーロッパに向かう。翌年渡欧(1620年9月22日帰国)。チョコレートを口にした最初の日本人と思われる。
1615年
スペイン王女アンヌ・ドートリッシュがフランスのルイ十三世と結婚。皇女は希代のチョコレート愛飲者だったので、チョコレートコックを連れての嫁入りとなった。以降、ショコラ飲料はたちまちフランス宮廷の最新流行となる。
1656年
イギリスでフランス人がチョコレートハウスを開店。
1660年
スペイン王女マリア・テレサがフランスのルイ十四世と結婚。彼女もチョコレート愛飲家だったため、フランスでチョコレートが定着した。

18世紀~19世紀前半:チョコレートの医学的効用発見、ココアの誕生

1715年
フランス・アカデミーのニコラス・メリーが医学的にチョコレートの効用を強調する。
1760年
フランス王室は、ショコラ調進所を設立。薬剤師ドボーヴはショコラ師として活躍。
1797年
長崎丸山の遊女のもらい品目に「コオヒ豆一箱、チョクラート…」の記載がある。
1824年
ジョン・キャドバリー、コーヒー、紅茶、ココアを売る店をバーミンガムに開く。
1828年
コンラート・ヴァン・ホーテン(オランダ)は、ウェースプの町でチョコレート工場を営んでおり、チョコレートを消化の良い飲物にすることを研究。カカオから脂肪分を分離させる原始的なココアしぼり機を発明。また“ダッチング”として知られているアルカリ処理の工程法も発明、低脂肪でなめらかなココアが誕生した。
1847年
フライ社が初めて、食べるチョコレートである板チョコを発売。
カカオのペーストに砂糖を混ぜた飲料用の固形物は食べると苦いものだったが、これにココアバターを加えたところ、苦味は薄められ、多くの砂糖を加えることができ、しかも冷やせばきれいに型抜きもできるようになった。
バーミンガムの風景

19世紀後半~20世紀初頭:ココア・ミルクチョコレート一般化と、日本での発売

1866年
キャドバリー社が、添加物ゼロの純粋なココア<ココアエッセンス>を市場に出す。この商品はカカオペーストから余分なココアバターを取り除いたもの。
1876年
ダニエル・ピーター(スイス)がミルクチョコレートを発売。
飲料のチョコレートに牛乳を加えることは当時も行われていたが、固形チョコレートには牛乳の水分のため加えることができなかった。ピーターは牛乳入りのチョコレートドリンクを乾燥させて、ここにココアバターを加える方法を発明。
19世紀末頃
レファイナー・コンチェの発明 コンチェという機械で、長い時間チョコレートを練り上げ、レファイナーという機械で磨砕の作業を何日間も連続してできるようにしたため、口溶けが良くクリームのような舌触りとなった。
1918年
森永製菓が日本で初めてカカオ豆からチョコレートの一貫製造を開始。森永「ミルクチョコレート」を発売。
1919年
森永製菓は森永ミルクココアを発売。国産第一号です。

【参考】ソフィー・D・コウ、マイケル・D・コウ著「チョコレートの歴史」(河出書房・1999年)/ティータイム・ブックス編「チョコレートの本」(晶文社・1998年)